【質問コーナー】烏帽子の種類が色々あるのはナゼ?
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- Опубликовано: 8 фев 2025
- #烏帽子 #ファッションの歴史 #解説
※概要
「烏帽子の種類が何種類かあるのはどうしてですか?」という質問に対して、男性の「かぶりもの」についての解説をしています。
2022年、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」動画です。
Twitterで配信情報とか配信前のネタをフライングでつぶやいてます。
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常に烏帽子を離さないこのドラマに違和感を感じていました。きりゅう先生の解説で疑問が晴れました。ありがとうございました。
ただ、蒸れて禿げないかと心配しております。
質問に答えていただきありがとうございます!
採用された〜。嬉しい!
大河ドラマ観ててずっと疑問だったんです。スッキリしました。
ありがとうございました!
きりゅう先生、烏帽子のうんちくありがとうございます。
昔の人のお風呂習慣は今の人と違いますもんね。
それにしても烏帽子の説明で出てくる「鎌倉殿・・・」の映像がぴったり合っているので
歴史考証がしっかりしていると改めて感心しました。
そして、前回の動画の読み通りの展開。きりゅう先生さすが👏👏👏
私も歴女でしたが、烏帽子のことは、前々から疑問でした❗️これはすごい‼️ナゾがいっぺんに解けました‼️
兜鉢の上(八幡座)が筒抜けだったその理由と目的についてもしっかり言及していらっしゃいますね!
高津装飾美術さんも昭和大河の『新・平家物語』(脚本家の平岩弓枝さんがご逝去されました…)から半世紀にわたり、浮け張りで仕切られていない星兜を用意して下さっているのがわかります。
動画とは関係ないですが、きりゅうさんの歴史の知識からくる妄想的考察には脱帽です。
大当たりおめでとうございます
勉強になりました。
今回、和田義盛が歩き巫女の占い婆さん(大竹しのぶ)に、この中にひと月体を洗って無い者がいるって、言われてたのが浮かびました。
「パンツ脱げちゃった」だから平知康が井戸に落ちた時にものすごく恥ずかしそうだったんですね〜。
そりゃ恥ずかしくて押さえたくなりますね笑。
烏帽子について知りませんでした。解説ありがとうございます!
とても おもしろかったです‼️
確かに 夜、寝ている時の頼朝も病で倒れて寝ている頼家も烏帽子を かぶったままでしたね。
いずれ義時は執権に なりますが 立烏帽子を かぶるようになるのかな?
楽しみです🎶
凄いですねぇ、知識の幅が広い。いつも感心しながら観ています。
今回はすごく良かったです!
見る楽しみが増えました😁✨
よかったです💖
すごく気になっていたので、お話が聞けて良かったです!冠と烏帽子が違うとは知りませんでした。こういうお話を、なぜNHKでやってくれないんだろう。
昨夜の「苦い盃」は、
明石家さんまさんの「アミダばばあ」を模した占いババアを大竹しのぶさんに当てて持ってくるとは三谷さんのアイデアに度肝を抜かれました。
神谷さん凄すぎです。
それをやってのける大竹しのぶさんも凄かった!
平安貴族が烏帽子を寝る時にとらないのは知ってましたが、いろいろ種類があるのは知りませんでした!
勉強になりました!
勉強になります👍
なかなか風呂に入れなくて臭いから香が必要なんですよね。フランスと同じ。
知識が深い❗
ていうか、日本史研究家でも服飾は範囲外っていう方がほとんどだと思うんですが…
もはや服飾研究家の守備範囲ですよね。
今回も勉強になりました‼️‼️
それでも和田っちは風呂に入っていなかったのかw
今の解説聞いて、自分も同じこと思いました😅
まあ、日本だけでなくあの時代って風呂あまり重視してなかったし.......
ド近眼の友達が、お風呂に入る時も眼鏡をかけている話に驚いたことがありますが、
風呂に入る時や寝るときでも烏帽子をかぶっていたとは、ビックリドンキーでした。
風邪で飛ばされたら、パンツが脱げたと同じく、ぼうしわけありません。
凄く面白かったです!
またこのようなフォークロアネタをやって欲しいです!
烏帽子について全く知識がなかったので、これからドラマ見る時の楽しみが増えました!
その時代の暮らしや詳しい諸々…面白くて大好きです‼️
今後もきりゅう先生の講義、楽しみにしてます‼️
こんにちは、大変勉強になりました🐱
頼朝のうたをうたった、三善康信さんは、烏帽子を被っていたいませんよね、ツルツル頭だからゆるされるのかな?そういえば、お坊さんは帽子類は被ってませんね。頭頂部を見られても恥ずかしくないのかな('_'?)
りくママの叔父?親?の牧氏は亀の前事件の時、頼朝に激昂され、髷をきられてました。牧氏は、あわれなほど泣き叫んでいましたね、やはり烏帽子がうまく被れなくなるからかな?
冠、といえば、私の地元に「冠稲荷神社」という大きな社があります。
名前の由来は、八幡太郎義家の子、源義国が創建したそうです。源義経が奥州に下向するとき、源氏ゆかりの地であることを知り、立ち寄って冠の中の伏見稲荷の分霊の書を奉納したといいます。
ちょっとまってください、義経は上州通りましたっけ('_'?)
源氏が稲荷神社をうやまうのもあやしいわね。
お疲れさまです🎵
アニメのおじゃる丸の烏帽子の
高さが高いのも、貴族の人って設定だからなんですね(笑)いろいろ勉強になります(笑)ありがとうございます🎵
第2回、烏帽子を被って浴衣姿の頼朝と義時の温泉での会話のシーンがありました。それで烏帽子を取らない、裸で湯につからない、習慣を知りました。
烏帽子気になってました。
そういえば、時政パパいつのまにか立烏帽子でしたね。
烏帽子についての解釈有難うございます。
階級で色々な形があるのですね。
身分の高い方の烏帽子は大きいので、御簾とかの下を通るときは大変そう。
下手したらはたき落とされてしまいそうな。
烏帽子もですが、カブトの仕様も身分で変わるのでしょうか?
よく武者絵では鍬形打った兜を被って居るのを見ますが、
ああいう飾りがつくのは大将クラスなのかしら?
畠山殿の兜には無いのが寂しいです。
面白い!ありがとうございました。
高い、低いで身分があるのは、なんとなく想像してましたが、凹みの位置まで
決まってたのとほぼ外さないのは驚きでした。
冠も烏帽子の種類のひとつだと思っていました
毎回楽しい動画ありがとうございます。
寝る時もかぶってたのか!
ドラマでも頼朝が夜中にうなされてるシーンでかぶってたのを見てあれは無いだろ、と思ってたけど正しかったんだ。
現代のスーツとネクタイみたいな感じ。ダブルのスーツを着た若者が「生意気だ」って言われていたのを思い出した。
地位の高い人には相撲の床山みたいな人がいたのかも。夏場は短髪でも3日放置すると脂で大変なことになります。力士は鬢付け油と櫛で手入れすることで、数日間洗髪なしでも耐えられるそうです。
ふーん、どれどれ、烏帽子の種類ねぇ
って、何気なく見たらとんでもなく深い内容でビビったw
鎌倉殿の13人制作スタッフ
「みんな烏帽子を被っていてくれてありがとう。おかげでカツラの生え際の処理が楽だった」
どうする家康の制作スタッフ
「なんで、みんな月代だしているだよ~、カツラの際の処理が大変なんだよ~、茶筅髷なんて大嫌いだー、信長のバカヤロー!!」
烏帽子が鎌倉時代の男のステータスとわかりました現代だと車ですかね時政パパがベンツSクラスに乗りだして義時は相変わらずプリウスに乗ってるって感じ?
冠位十二階!烏帽子で位が解る勉強になりました!信長など烏帽子を被ってない肖像画があるが婆娑羅だから?
時代は下るけど細川政元の烏帽子嫌いは今で言うパンツはかない人だったのか・・・そりゃ奇人変人あつかいされるよなwwwとか思ってしまいました
この回の動画、観ておいて良かったです!
第36回『武士の鑑』のなかで小四郎と次郎のタイマン(クローズチックな笑)がありましたが、あれを始める前に兜を取り、その中に烏帽子を実際につけていたのが観れたので“あっこれってこの間きりゅうさんの動画で解説きいたやつやん♪ほほう…”と思っていたのでありました。
おかげでドラマとYou Tube、2度おいしい楽しみ方ができました(*´∀`*)
亭主の好きな赤烏帽子・・・40年前にはもう死語(笑)。
話は違いますが、湘南海岸の先にある烏帽子岩は、やさり鎌倉武士が名付けたのでしょうかね?w
よくわかりました😄
仏門に入り、僧侶坊主の方が楽で涼しい~
大変勉強になりました。ありがとうございます。
ここで疑問が1つ。戦国時代の武士の肖像画には、烏帽子を付けてないものが、多いと思います。
いつから、つけなくても良い感じになったのでしょうか?
なにかきっかけがあったのですかね?疑問に思いましたので、質問させていただきます。
きりゅうさんが、時政パパの烏帽子は若い人用と言ってたのはそういうことだったんですね。私には動画を観直しても諸眉かどうか確認できませんでした(^_^;)
烏帽子のファッションショーというと炎立つ2部とか見返すと面白いかもしれませんね
・清衡たちが被る侍烏帽子が他作品と異なっており、過渡期の形状らしい(私的には気づきませんでした)
・真衡は平時は高烏帽子を被っているが、陣中で騙し討ちにされる時は兜の下に付けられる揉烏帽子だった
あと今年の比企能員は高烏帽子、体格、パーソナルカラーから
一部界隈でジ・Oと呼ばれています(爆)
こんなに分類されているとは
ずっと気になっていた事故スッキリしました。
ご回答ありがとうございました。大変よくわかりました。烏帽子が漆で固められていたとは知りませんでした。またお風呂についてのうんちくも、わだっちの1ヶ月お風呂にはいってないエピソードと重なって面白おかしく聞いていました。
(で、ご説明を聞いていてふと思ったのですが、「烏帽子はパンツ」、「烏帽子をつけずに髻を見せる恥ずかしいコト」ということはもしかして髻とは男性のシンボルを象徴しているのでは?な~んて下ネタを想像してしまいました。今度は江戸時代まで続く、髷についてご説明頂ければと・・・。)すみません、変な話になってしまったので管理者権限で削除してもらっても構いません。m(_ _ )m
平家の右折れ、源氏の左折れ、と言う言葉を聞いたことがあるのですが、烏帽子のことですよね。
昔昔、カルタに、亭主の好きな赤烏帽子 というのがあって、意味が分からなかったのですが?
平家の右折れ。。。能の演目で登場人物が平家と源氏をわかりやすくするため烏帽子の折れる向きを変えています。このことを言っているのではないでしょうか?
@@-t--time-- なるほど 1つ利口になりました。 ありがとう
先日 大河ドラマ館で鎌倉殿になりきって 写真を撮りましたが 後で見てみると 義時の烏帽子を被っていました…コレは恥ずかしいと思って すぐに消しました。残念~
烏帽子って元々なんなのだろう?中国とか朝鮮由来?
「鉞(まさかり)烏帽子」は「侍烏帽子」の一種ですか?それとも別名ですか?
また、刀鍛冶が身に付ける烏帽子も侍烏帽子とは全く形が違いますが、
これに付いても続編のビデオを制作して説明して頂きたいです。
白拍子が烏帽子を被るのは失礼にならなかったのでしょうか。能の道場寺で、乱拍子のあと、烏帽子を扇で落として鐘入りしますが、時代が後なので問題なかったのでしょうか。
いくら洒落者でもカツオノエボシを被った武将はいなかろう😮
鎌倉時代はみんな烏帽子を被っていますが戦国時代を経て江戸時代になると被らなくなりますよね。
烏帽子を被ったいた時代と被らなくなった時代の分かれ目ってどのへんですか?
おそらく、信長ではないかと。月代を剃る習慣を広めたのは信長だという話を聞いたことがあります。
同じこと思ってた😊
たて烏帽子で思い出したんですけど…
漫画「花の慶次」で、幸若を舞うシーンがあるじゃないですか。
その歌詞に「…鳥のとっさかたて烏帽子~」って言ってましたけど、そうなると幸若ってのは、身分の高い人のことを唄ったモノなんでしょうか?
あと、この質問コーナーの質問って、何処に書けばいいんですか?🙄
実は一番気になったのが、和田っちです。トモちゃんは臭いと思わんかったのだろうか?
思ってたら、和田っちを川にでもぶん投げているような希ガス。
当時のお風呂事情を知りたいです。
ちょんまげは、いつから始まったんだろう・・? と疑問
凄い‼︎
聖徳太子のお札で、1000円をだすとか‼️
私は5,000円の聖徳太子を知っている😄
そういえば、明治天皇の玄孫 竹田恒泰さんは、結婚式は冠+束帯でした✨
どこで入手したのか…(宮内庁とは無関係な)雅楽RUclipsrも、烏帽子被ってましたね…
よく衣冠束帯って言うじゃないですか→そうなんだ・・・
今年1月に地震が起きた能登の地域では「烏帽子親」なる習慣があったと言う。これは子供が成人する時に、初めて烏帽子をつけたらしいが、地域の有力者等に仮親になってもらい、儀式を済ませたと言う。これは、平時忠の一族が能登に流刑になった時、京から伝わった文化かも知れず、はたまた民俗学者の柳田邦夫が唱えたように、古い文化、風習、語彙等は、遠い辺境に残る説の例かも知れない。地震の後片付け等に際しては、この烏帽子親だっだとか、烏帽子児です、とか言って知らない人も手伝いに来てくれたと言う。だんだん廃れつつある風習らしい。
初老とは40歳のことですからね
俺引き立て烏帽子持ってます12歳でww
オバQの服みたいだな。当時の烏帽子。
いつごろから人前で髷?髻?を見せることが恥となったのでしょうか?飛鳥時代には偉い人は何かしら被ってますが、古事記の神様はかぶってないですね???
だから和田っちは1ヶ月も風呂入ってなかったのか😁😁😁
大竹しのぶは風呂の占いはしてくれないのか・・・
和田っちが風呂に入ってないのは、占いで入れる日が来なかっただけか。しょうがないね。
大竹しのぶは風呂の占いはしないのだろうか?
そもそも、人類はいつ頃から、被り物、冠、を身に付けるようになったのでしょう('_'?)気になったの調べてみました(*´∀`)
日本では聖徳太子が制定したとされる、官位十二階。この後、大いにひろまったような気がします。さらに古くは大陸からの伝来とおもわれます。三國志の曹操の逸話にこんなのがあります。畑を荒らしてはならぬ!と厳命した曹操でしたが、自らの馬が荒れてしまい畑に突入して荒らしてしまった( ̄^ ̄)!曹操は自らの髪を切って詫びたといいます。髪を切る習慣がなかったようですね。更に古く、孔子は、被り物、冠をつけています。今から2500年前にすでに身に付けていたんですね。髪を切らないのも儒教の教えですかね?親からいただいた髪も大切にし、切らずにまとめて被り物をした。
同時代のエジプトのファラオは?やはり立派な冠をしています。では、釈迦はどうか?被り物は無く、巻き貝のようなものが、頭いちにんにいくつもある!螺髪というらしいが、お釈迦様特有の超人的な特徴ともいわれています。三十二相八十種好、実に百以上ですね。大日如来は如来にしては珍しく、宝冠を被っています、全身キラキラ✴️ズバリハデな如来様です。
菩薩さまも髪を束ねたり、冠を被っていますね。庶民派の地蔵菩薩はツルツル頭ゆえか、何も被ってはいません。観音様や明王もなにかしら被ってはいますね。十二天は、西北風天以外は皆被っています。
とりあえず、男は被り物が、女は髪に笄をさしたみたいですね。
ここで更なる寄り道、与太話(笑)
現在の東京麻布辺りに、昔「笄町」がありました、こうがいちょう、ですね。一説によると、この町に、甲賀忍者、伊賀忍者が移り住んだからこの町名になったとか('_'?)?落語みたいな話ですね(^_^;)